ここからは私、しんへいの自己紹介をしていきます。
現在
今は広汎性発達障害の診断を受けて、2週間に一度心療内科に通院しながら体調に波に合わせてA型作業所(福祉施設)で働いています。
発達障害の診断を受けるまでは一般の雇用で働いていました。
今は作業所で働きながら、いろいろな収入源をつくることを模索しています。
また、お金だけでなく、出会いを大切にしています。
お金も大切だけど、孤独になるのも同じくらいヤバイと思うので。
学生時代
小学校
家ではよくしゃべるけど、学校に行ったら全然話せない子でした。
学校でしゃべれなかった原因は最初の出席を取るときに「はい、元気です」がスムーズにいえなかったこと、これが学生時代トラウマになっていくことに。
原因が分かったのでは大学4年の時で親に相談したら吃音(どもり)が原因だとわかりました。
勉強はそこそこできていたけど、体育や家庭科、図工などの実習系がダメでした。
図工では絵が書けない。
そもそも何を書いたらよいか分からなかったので、最後まで残って先生の説教を受けながら泣きながらやっていました。
小学2年生で習う九九は最初は全然ダメでしたが、なぜかクラス一番で覚えるという奇跡を起こしました。
奇跡ともいえるけど、努力の積み重ねで起こしたんだけどね。
というわけで新しい環境は苦手で慣れるまで時間がかかって最初は全然ダメダメだけど、後から努力して伸びていくというスロースターター的な要素がこの頃からあったんですね。
ブログでいえば独自ドメイン、マリオカートでいえばクッパ的な存在といえます。
中学時代
勉強はスロースターターということもあり、最初の正負の数、英語でつまづきました。
しかし、要領をつかみ頑張った結果中学2年の時には学年5位以内の成績になりました。
ただ、実技4科目(美術、体育、音楽、技術家庭科)はまるっきりダメでした。
特に美術・体育は10段階の相対評価で3,4が当たり前でした。
うちの県は実技4科目は内申点が2倍なので公立高校を受けるには内申点的に相当不利だったんだろうな。
結局、公立高校には行かず、勉強中心の私立に行きました。
絵がダメだから美的センスはなんだろうね。
デザインは難しそう。
体育は運動神経が悪かったし、どんくさいところもあり体育教師からいじられていました。
美術・体育の2科目は先生が嫌いで授業があるときは学校に行くのが嫌でした。
もちろん、物覚えが悪いことや作業が遅い、吃音で馬鹿にされたり、いじめられることもありましたけどね。
この頃は勉強さえしていい成績を取ればいいんだということで勉強に夢中でした。
部活は何かに所属しないといけないので卓球部でした。
特にこれといった理由はなく、親しい友達が入っていたからです。
中1の時は行っていましたが、中2以降はほとんど行ってません。
行っても週1,2回くらいかな。
部室で同じ塾の英語の宿題をやってあげていたこともありましたね。(笑)
高校時代
高校時代は進学校に行ったため部活にも入らずに勉強をしたことしか記憶にないです。
剣道が必修だったので、剣道に使う面や銅のひもを結べるのかという不安で悩んでました。
原因は発達障害なのですが。
芸術は書道でした。
先生に「日本語分かる?」みたいな感じで怒られたことがありましたね。
日本語分からないのかもしれませんね。(笑)
苦手な科目は国語全般でした。
特に現代文がダメで偏差値30を取ったことすらあります。
この苦手意識がブログのタイトル・見出し作成、検索キーワードから検索者の悩みを把握に時間がかかるというつながっているのだと思います。
あまり関係ないと思うけど。
大学は特にやりたいことがないため偏差値で生物と化学をやるような学科を選びました。
センター試験の点数は同じ形式の模擬試験を含めると6科目800点満点で530点位でずっと下がることも伸びることもありませんでした。
マークシートの試験は苦手でしたね。
大学進学にあまりやる気がなかったのでしょう。
やる気がないとやらないから案の定結果は出なかったです。
大学時代
一人暮らしをしながら大学には行っていました。
授業を受けて家に帰るという純引きこもり生活でした。
サークルは1,2個見学に行きましたが、結局どこにも入りませんでした。
大学の勉強は何のためにやっているのかいやでしかったなかったです。
おまけに友達がいなかったので過去問が手に入らずに苦労しました。
よく単位を落とさずに卒業できたと我ながら思います。
テストでは分からないなりに最後まで書いたからかな。
問題は実験や研究室に入ってからです。
引きこもりの原因となった学生実験や研究室生活
学生実験は二人ペアでやるのですが、とにかくコミュニケーションが取れずに苦労しました。
実験器具や物の名前が出ずに正直行きたくなかったですが、最後まで行きました。
実験の時も他の人が和気あいあいする中、もちろんその中で聞くことできず最後まで残っていましたね。
先生が最初に実演した後にすぐにやってください系のものは全然覚えられずに再現できずよく怒られました。
研究室では過去問同様に先生とうまくコミュニケーションができずについていけませんでした。
教科書に載っていないことをするので学校の勉強と違いネットで調べられないですから。
大学院も合格したのですが、同じ研究室ということで1年休学した間に就職が決まったので中退しました。
研究室へは一度も行っていません。
一度休みの日に遊びに行ったり、忘年会はいきましたね。
忘年会にいったのは今思うとよく行ったと思いますけどね。(笑)
休学してもほとんど外出、アルバイトすらしていなかったので孤独で苦しんでいたんでしょうね。
本当に無職、ニートは無趣味だったら孤独で苦しいですから。
何も変化がない日々平穏でいいと思うかもしれませんが、体験してみれば分かりますが結構つらいですよ。
社会人時代
自分が発達障害であることが分からずに、一般枠で働いておりましたが、無理でした(^_^;)
電話がとれないとかデータ入力ミスが多かったりとか。
無理ゲーでした。
これまでの人生いろいろありましたが、すべて人生の糧になっています。
これを基にして役に立ったことがあれば、どんどん情報発信していきたいと考えております。
以上が自己紹介になります。
よろしくお願いします。